自負心と自尊心と自己肯定
「自分は自分が嫌いだ。」
自分自身、この気持ちは歳を重ねていくたびに増している。
子どもの頃…小学生の頃は、なんでもできるというか、なんか、こなせていた。
凄い上手な訳でもないけど、野球もサッカーもスマブラも国語も算数も遊戯王だって…周りと平均的かそれより少し高いぐらい、こなして、楽しめた。
中学からゆっくりと、少しずつ、ヒビ割れる。
顕著に現れた。
スポーツでも勉強でも遊びでも、周りとの平均より下回れば「何故かできない」「良くできないのは仕方ない」「努力で平均的、それ以上に上げよう」と諦めと粘りが生まれた。
そして同時に、出来ること、触れられること、も増えていた。
諦めた事で空いた穴を、ヒビを、埋めるかのように出来ることで支えていた。
高校、大学と新しい発見を探した。新天地、出来ることも増え、自分自身の差別化、特別を見つけたかった。
粘っては諦めて…新しく、特別になるかもしれないことに手を出しては粘り、諦めた。
大人になった。
SNSは沢山の化けの皮を剥がしてくれた。
特別は探せど探せど、自分が特別じゃないことを教えてくれた。
埋めたのは外見だけで、内側は"凡人"が食い漁り、大黒柱は折れる寸前まできていた。
「また探して、また理解したら、次は崩れ落ちるかもしれない。」
粘ることを恐れた後は、自らの自負心を失い、僅かな自尊心と自己肯定をひけらかし、薄いメッキで貼り直していた。
それは薄く、薄く…周りにも、自分にも見えないぐらいに薄くなった。
…ああ
「自分は自分が嫌いだ。」